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どんなトレーニングやドリルも慣ればだいたい一人で出来るようになります。コーチやトレーナーなど指導者をつけて練習する本当の意味はどこにあるのでしょうか?
自分の感覚を第三者目を借りて再認識
私は錯覚やトリックアートを観るのが割と好きでなのですが、人間は認識出来ない情報を過去の経験や体験で埋め合わせいかにも観ていると認識(錯覚)する傾向があります。下の図は全く実は動いていないのですが、ほとんどの方は動いているように見えると思います。またこれは視覚限ってのことではありません。暑いとか寒いとか感じる温度などの感覚、痛みなどを感じる感覚などの主観的な感覚や、体の動きやタイミングなどの空間的な感覚においても同様に情報の修正が起こります。
指導者される側にとって大切なのは、自分の感覚を違った視点から見れるようになるということだと思います。「あのコーチならこのアートの一番外側に注目してみる。」や、「あの先生ならこの図は頭の中に入っている。」など、ちょっと違った視点から見ることを学ぶとことが、後々自分の力になると思います。そのために日頃から色々な指導者の考え方に触れてみるということも必要です。
気付きづらい無意識の世界を理解しっかり把握
姿勢や動きのくせなどすべての体の動きは神経活動の中で行われています。その中でも無意識に行われる動作は圧倒的に多いと言われています。片足で立っている時に体幹やふくらはぎがどのように動いているのか。ほとんどの場合投げるや蹴るなど早く動いている部分を意識していて、それ以外の体を支えている部分は無意識に行われています。トレーニングにおいても同様の事が言えます。バーベルやダンベルを持ち上げる部分には意識しますが、それ以外の体を支える筋肉に全くノーマークということが多いようです。個々のバランス、柔軟性、筋力、くせなどをしっかり配慮して、どのような変化を期待しているかを指導者とお互い理解する事が大切です。
“プール”から“大海原”へ… 不測の事態の応用力を!
ジムや個室など小さな場所でのトレーニングでも大きな成果を生みます。しかし、これは例えてみれば、プールの中で上手く泳げるようになっているだけであり、海では全く役に立たないかも知れません。大海原では、波や潮、風の影響を受けたり、ほかの生物に遭遇したりと、単純に”泳げる”という以上に必要な要素がたくさんあります。大切なのはその人がどれだけ違う環境に適応できやって行けるかです。
”不測に立ちて無有に遊ぶ”
荘子は「不測に立ちて無有に遊ぶ」と、その境地を表現する。あらゆる予測をもたず、今このときを予断なく無心に「遊」ぶのだ… 必要なのは成長のためのいかなる「計画」でも「目標」でも「志」でもなく、むしろ現状を肯定してそこに「遊ぶ」ための思想ではないか。
出来ないことや予測がつかないことを“楽しめる精神状態”を学べる機会があればどんなに良いかと思います。世の中は結果を求め、科学的・効率的になっていますが、科学とは事実を他人に伝えるコミュニケーション手段の一つでしかありません。
体のことに関しては科学的に、客観的に分析出来る部分もありますが、それをどう感じているかなど主観的な部分も同時に存在しており、解釈が矛盾することもあります。例えば、湿布やクスリ、民間療法や運動療法など『痛み』をとる方法はたくさんあり科学的にも証明されています。しかし、それが効くかどうかは別問題で、指導者はその背景を知る必要があります。
思うように行かないことこそ、客観的な指導者の見識を知ると、それを楽しむことが出来ます。解決したい課題のある方は是非専門家の指導を仰いでみてはいかがでしょうか。
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